せきをしてもひとり。
さいきんいろんなひとに
『まみけるって、ぜったいひとから嫌われなさそうだよね』
といわれるたびに耳をうたがいます。
そんなことはまったくありえませんが、もしもほんとうだとするならばそれはわたしがすごいひとなわけではありません。だまされてはいけません。
気も使えないし、愛想笑いもできない、向上心とかいうものは遠いむかしに電車の棚に置いてきたし、唯一得意なことは5分程度の遅刻。
こんなにんげんを受け入れてくれるひとのほうがよっぽどすごいひとであります。たとえるならばわたしがダンゴムシでまわりのみんなはもはや釈迦だな。釈迦。どんなに弱くてとるにたらないものでも、見捨てないでいてくれる釈迦だな。
そんなみんながきらきらしていてとてもまぶしい。かっこいい。うらやましい。でもちょっとかっこよすぎる。釈迦もだらだらしてほしい。釈迦も『めんどくさーい。ぽりぽり』ってゆってほしい。釈迦もたまにはダンゴムシに弱みをみせてほしい。
いまわたしはとてもとても尊敬するおとながいます。
とてもとてもダラシナイひとです。
でもさいこうにかっこいい。そしてみんなにあいされている。決して釈迦ではないけれど。
たのしくてなんぼだ!じんせいたのしくてなんぼだ!
さいきんはほんとにくだらないことばっかかんがえている。
たとえば同棲をはじめたらいつもは5枚切りを買う食パンも、6枚切りを買うようになるのだろうか。
1.5リットルいりのカルピスソーダも2人なら1日でのみきってしまうのだろうか。
お風呂あがりにはだかのままパソコンの電源をつけにいけなくなるのだろうか。
すこしだけふかふかの食パンをたべれなくて、すこしだけあしたにカルピスソーダをとっとけなくて、すこしだけ不便になる生活と引き換えにわたしはきっと多くのものを得ることができるでしょう。
よるねるまえに『おやすみ』といってくれるひとがいることなんてどんなにしあわせなことだろうとおもう。
でも人生はきっと損得じゃない。
そんなに答えがはっきりしてるものじゃない。たった1枚の食パンにだってきっとゆずれないものがつまっていることもあるんだとおもうよ。
だからこそただひたすらにたのしむ!
わたしとあなたはちがう!おたがいのことなんてわかるわけない!じゃあたのしむ!いっしょにたのしむ!ひたすらたのしむ!おたがいやりたいことやって、とにかくたのしむ!
そんなかんじ。
わたしはすごいひとではないけれど、らくなほうへらくなほうへ、たのしいほうへたのしいほうへ流れるのは得意。
いつもいっしょにたのしいことしてくれるこ、ありがとう。これからもよろしくね。たのしいことたくさんしたいから。ぜひごいっしょに。
なにがいいたいのかわかんなくなってきたので、つぎの記事に師匠のことばをのせときますね。
さいごに。
ダンゴムシさんへ。
あなたをばかにするような発言をしてごめんね。でもちがうの。昆虫界と人間界、フィールドは違えどもわたしたちそれぞれの世界の限りなく底辺に近いところでいっしょにもがいてもがいてがんばりましょうね。