にっぽん。
もう2週間ちかくまえになりますが、いちねんにいちどの祭でした\(^o^)/
全国から集いし信者(カリシタンと呼ぶ)のクレイジーな宴でした\(^o^)/
お笑いみにいって泣くってなんなんでしょうね、もうひっちゃかめっちゃかですね。
テーマはずはり『日本』。にっぽん。
あの日、地球が大きな寝返りをうったあの日からやしろさんのあたまのなかにあったすべてをありのままに。ありのままに。
いつから『こんなときだからこそ』は汚い使われかたをされてしまったのだろう?
いつから疑う割合のほうが多くなってしまったのだろう?
なにがよくて、なにをしちゃいけなくて、なにをすべきなんだろう?
ありのままに。
ありのままに。
笑いと愛に包まれた不謹慎はもうただの純粋な願いです。やさしいやさしいきもちでいっぱいの願いになりました。
いろいろな考えかたがあるとおもいます。嘘も恐れもたくさんあるとおもいます。
どんな答えのなかにもやさしさがあれば、やさしさがあればとおもいます。
やさしさのない考えはやっぱり誰かを傷つけ、自分を蝕み、平和を滅ぼすとおもいます。
『大切なものを大切にすること』
そんなかんたんなことができるようになりたい。やさしさで、あふれんばかりのやさしさで。
家城さんのやさしさがあふれていて、涙。涙。
砂時計のはなし。
すべり落ちてたまった砂は過去
これからすべり落ちる砂は未来
そしていちばんすばやく砂が落ちていってるところがいま現在です。
決められた未来の砂がすべりおちるさいごに人生がおわってしまうんじゃなくて、もういちど砂時計をひっくりかえして、はじめから。はじめから。いまはその段階なのかもしれません。
いまは最低限の覚悟だけしてたのしく暮らせたらとおもいます。
もし万が一また地球が大きな寝返りをうって、さいごの砂が滑り落ちてしまう日がきてもなにも迷うことなくもういちど砂時計をひっくりかえせたなら。
とにかくさいこうでした。
やさしいひとがやっぱりすきだ。
殴り書きしてしまったけど
ありがとうでいっぱい。
しばらくもってかれ続けるだろなあ。
おなじような日記あと3回くらいかくとおもいます笑
いつだって
生きる死をえらぶ。